逝く命と新しい命

今朝一番の驚きは、在豪中にお世話になったあるご婦人の訃報。スコットランド人のご主人共々、短くも濃厚な時間を過ごさせていただいた。当方がアメリカに移住したのち彼女も田舎へ移られたのでシドニーへ行くことがあってもなかなかお逢いする機会がなかった。今年の8月にようやく再会がかなったが、彼女は既に体力がなくなり老人介護ホームへ移っていた。短い滞在時間だったが、偶然彼女の息子とも会うことが出来た。そしてあれが最後の別れになってしまった。

法華経の死生観でいえば日蓮は「い(生)きてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり」といった。また別の教えでは「生あるものは、必ず臨終の時を迎えます。しかし、生命は永遠です。自分の生命がなくなるわけではありません。大宇宙に冥伏するんです。ちょうど、一日を終えて、眠りに就くようなものです。時が来れば、また生まれてきます」と言っている。

友人、知人が亡くなるのは悲しい。家族となればなお悲しいものである。しかしそれは永遠の命の流れから見れば一時的なものである。故人の新しい旅立ちだと思えば、かえって喜ばしいことである。もちろん理論的にはそうではあるが、残された者の悲しみは故人との「思い出」が自分が死ぬまで続くことだ。

人生の半分も過ぎれば、悲しいことに友人知人が鬼籍に入ることにも慣れてきた感がある。特に冬場は亡くなる人が多くなるような気がする。立て続けに訃報が届くと若干気が滅入る、しかしこれも人生である。

それに届いたのは訃報ばかりではない、知人から初孫誕生の知らせが届いた。逝く人がいれば、生まれくる命もある。高齢化社会、少子化社会となれば数的には逝く人の方が多いのかもしれないが、それでも生まれてきた命が充実した人生を送れるように、少しでも良い社会にしていくのが今を生きている自分たちの役目なのかと思う。

01300000288883122718432922813

スミさん、大変お世話になりました。
ありがとうございました。

合掌

あなたの一押しが僕へのはげましです。
にほんブログ村 その他スポーツブログ トライアスロンへ
にほんブログ村

広告

逝く命と新しい命」への2件のフィードバック

  1. 深く心に染み入ります。
    9月に義母が101才で亡くなりました。
    嫁姑と言うより、不思議と気が合い学んだことは数々、思い出は付きません。
    息子が今年始めに結婚し、赤ちゃん誕生予定日が12月8日。
    女の子のよう・・・
    息子を可愛がってくれた義母の生まれ代わり?
    そんな気がしてなりません。

    いいね: 1人

    • 人をおくりだすという初めての体験は15歳の時に火事で亡くなった同級生の時でした。多感な年頃だったのでいつまでも心に残りました。今五十四歳になっておくりだした人の数も両手ではたりません。徐々に「死」を受け入れられるようになってきました。それでも故人を懐かしんだり、悔やんだりするのはかわりません。

      法華経では血の繋がりの濃い人は、近くに生まれ変わりまた濃い繋がりを持つそうです。親兄弟、夫婦、恋人、親友、師弟、生まれ変わって立場が変わってもやはり同じ時を共有するそうです。

      ただしほとんどの場合過去の記憶は残っていません。「四苦八苦」という言葉がありますが「四苦」とは生老病死の4つの苦をいい、死の苦しみと生の苦しみで過去世の記憶を忘れてしまうのです。

      お孫さんが生まれ変わりでも、違っても新しい命が誕生するということは不思議でありがたいことだと思います。

      いいね

コメントは受け付けていません。